長年、IT部門のリーダーたちは「古くなったシステムの維持コスト(技術的負債)」に頭を悩ませてきました。しかしその状況は悪化する一方で、マッキンゼーの調査では、IT責任者の60%が「負担は増え続けている」と答え、97%が「対策への予算が足りない」と感じています。実際、プロジェクト予算の2割以上が、複雑な古いシステムを維持するために使われています。これは、借金の利息を払い続けているようなものです。
ここで、厳しい現実を認めなければなりません。これまで「リスク回避のためにシステムを新しくすべきだ」という主張は、経営層には響きませんでした。なぜなら技術的には正しくても、ビジネスとしての説得力が弱かったからです。。データが示す通り、多くの企業は「古いシステムの改修」に高い関心や投資意欲を持っておらず、この先もその考えが変わることはないでしょう。
次の策を考える前に、なぜ「技術的負債」という言葉では経営層から投資を引き出せなかったのか、その理由を理解する必要があります。
リスク対策からチャンスの獲得へ
多くのIT担当者は、「技術的負債がどれだけ悪影響を与えているか、数字でハッキリ示せば会社は動いてくれる」と考えがちです。しかし、いくら詳細なレポートを作っても経営層はなかなか動いてくれません。マッキンゼーなどは数値化を推奨していますが、これだけ長く問題が解決していないのを見れば、そのやり方はもはや通用しないと考えたほうがいいでしょう。
経営層が動かない本当の理由は、数字が足りないからではありません。それは、「限られた予算をどこに使うべきか」というビジネスの判断や、数年で交代する上層部の任期といった、企業の現実的な仕組みに原因があるからです。
だからといって、システムの刷新を諦める必要はありません。必要なのは、戦略の根本的な切り替えです。「システムが限界だから助けてほしい」という主張が通らないのであれば、全く別の主張の仕方をするべきです。今、これまでにない「大きな利益」を生む絶好のチャンスが訪れていると伝えるのです。
話を「負債(リスク)」から「圧倒的な成長(チャンス)」へと切り替える。これは単なる言葉の言い換えではありません。短期的な成果を求める企業文化の中でも、経営層から「それなら投資しよう」と支持してもらうために必要な、重要な戦略の転換なのです。
認識のズレ:正論だけを伝えるのはやめましょう
技術的負債についての話し合いが失敗するのは、IT部門の考え方と、会社の予算の仕組みが根本的にズレているからです。IT担当者は「将来のリスクを避けるために直すべきだ」と訴えますが、財務担当や経営陣は「今すぐ利益が出るか」「新しい機能を早く出せるか」「コストを削れるか」といった短期的な成果を重視します。
この大きなズレは、ここ数年でIT業界のトップリーダーたちの間でも大きな課題となっています。IT業界で著名なジーン・キム氏(IT Revolution Pressの創設者であり、ベストセラー『 The Phoenix Project』や『The DevOps Handbook』、そして最近スティーブ・イエギ氏と共著で出版した『Vibe Coding』の著者)も、私たちとデビッド・ライス氏(Cox Automotive 上級副社長)を今年のETLSカンファレンスに招き、ITコミュニティ全体としてこの問題を理解できるように対談の場を設けたほどです。
技術に詳しくない人にとって、技術的負債は「完全に壊れて動かなくなる」まで目に見えません。そのため、「将来起きるかもしれないトラブル」と「今すぐ手に入る新機能」のどちらかを選べと言われれば、間違いなくより早い近道である新機能が選ばれてしまいます。
だからこそ、古いシステムの改修を予算に組み込もうとすると、財務担当者は「技術的負債を解消しなくても、新しい機能だけ作る方法はないのか?」と必ず聞いてくるのです。
この悪循環を断ち切るには、ITの専門家が「理屈」や「技術的な正論」で説得するのをやめる必要があります。予算を勝ち取るための、もっとシンプルな鉄則に従いましょう。
それは、「自分が直したいもの」を売り込むのではなく、「相手が欲しがっているもの」として提案するということです。
今のIT部門は、子どもに向かって「健康のためにブロッコリーを食べなさい」と説教をして嫌がられる親のようなものです。賢い親やITリーダーは、会話の焦点を「健康(システムの健全性)」ではなく、相手が最も関心のある「成長」へと切り替えています。
これを説明するのにぴったりな、私の育児のエピソードがあります。名付けて「フランケンシュタイン・ポテト」作戦です。
私の子どもたちが小さかった頃、野菜を食べれば健康になれるななんて話には全く興味を持ってくれませんでした。そこで私は、いんげん豆に変な名前をつけて呼び、遊び感覚で食べさせるようにしました。将来のメリットを伝えるのではなく、子どもたちのモチベーション(面白さやワクワク感)を刺激したのです。IT部門もこれと同じです。「技術的負債の解消」を売り込むのではなく、経営陣が好きな「低リスクで大きなリターンが見込めるチャンス」、つまり「圧倒的な成長」という言葉で伝えるべきです。
成長のために重要な言葉:いつでも使える選択肢を増やす
「技術的負債を解消したい」という訴えが通じないなら、代わりに「将来の選択肢を戦略的に増やす」という話をしましょう。これは、無理に使わなくてもいいけれど、いつでも使える選択肢をたくさん持っておくという考え方です。
先行きが不透明な今の時代、この「選択肢の多さ」は単なる生き残り策ではなく、大きな武器になります。
金融やデジタルプラットフォームのリーダーたちは、選択肢を増やすことが、コスト削減や効率化を超えた大きな利益を生むチャンスだと知っています。経営層にとって、この「凸型(コンベックス)の選択肢」という考え方は非常に魅力的です。なぜなら、「小さな投資で、大きな利益を得られる」投資モデルだからです。
ここで、「凹(おう)」と「凸(とつ)」の違いで考えてみましょう。
・「凹(コンケーブ)」な投資: 準備や維持にコストがかかる割に、得られるリターンが少ない。
・「凸(コンベックス)」な投資: 準備コストは低いのに、チャンスを掴んだ時のリターンがとてつもなく大きい。

Source: Nassim Nicholas Taleb, Antifragile: Things That Gain from Disorder. New York: Random House, 2014: 273.
企業の目的が、リスクを減らすこと(左側の図のような、コストがかかる割にリターンが限られた投資)であってはいけません。むしろ、爆発的な成長の可能性を最大化すること(右側の図のような、低コストで大きなリターンが狙える投資)を目指すべきなのです。
相手が欲しがるものを売る:AIを武器に予算を引き出す
システムの構造を根本から変えるには、経営陣が「それなら今すぐ予算を出したい」と思えるようなきっかけが必要です。その切り札こそが、今まさに大きな利益を生むと期待されている「AI(人工知能)」です。
Vibe Coding(AIによる超高速開発)が登場する前、システム開発のスピードはまだ緩やかでした。そのため、たとえ設計ミスや古い仕組み(負債)が残っていても、2年もあれば十分に軌道修正や解消ができたのです。
しかし、AIによって開発が超高速化した今、状況は一変しました。バラバラで壊れやすい古いシステムの上に、AIを使って次々と新しい機能を追加していくと、わずか2年で20年分もの負債が溜まってしまう恐れがあります。一度そうなると、後戻りすることは難しく、その負債のツケを払うためにまたAIを使って場当たり的な開発を繰り返すという、終わりのない「負債のメリーゴーラウンド」を回り続けることになります。
この事実に気づけば、予算交渉のやり方は180度変わります。
これからは「技術的負債の掃除(マイナスをゼロにするコスト)」のために予算を訴えるのではなく、「AIを使いこなすための準備」や「AI導入プロジェクト」として提案するのです。2010年代のスマホブームのように、AIをビジネスの武器にするには、データの整理やシステム連携(API管理)への投資が欠かせないからです。
スマホブームの時もそうでしたが、経営陣がやる気になるのは、綿密なROIを示されたからではありません。「今ここにある大きなチャンスを逃してはいけない」という時代の空気を感じ、「今動けば、投資を遥かに上回る見返りがある」と確信しているからなのです。
システムから配当を得る: 技術的貯金(テクニカル・クレジット)という考え方
技術的負債がシステムの動きを鈍くさせる足かせだとすれば、その反対にあるのが技術的資産(テクニカル・クレジット)、つまり変化への対応力です。
技術的資産(テクニカル・クレジット)とは、いわば「技術的な貯金」のことで、技術的負債とは真逆の考え方です。たとえ最初に少し手間やコストがかかったとしても、あらかじめ「柔軟な設計」にしておく。そうすることで、将来ビジネス環境が変わっても、最小限のコストですばやくシステムを組み替えられるようになります。
AIをビジネスで成功させ、安全に拡張するために必要なシステムの条件は、技術的な貯金(テクニカル・クレジット)を作るための条件と一致しています。具体的には、以下の3つのポイントが重要になります。
| AI投資で求められること | 得られる技術的な貯金 |
| 機能の細分化 (API化) | 拡張性と選択肢:機能をバラバラの部品(API)として独立させておくことで、システムが特定のアプリに縛られなくなり、AIエージェントをスムーズに動かすことができるようになります。その結果、将来の変更コストが下がるだけでなく、部品単位で簡単入れ替えられるようになるため、技術的負債の解消もスピードアップし、新たな負債が溜まるのも防げるようになります。 |
| 強固な連携基盤 | システムの復元力:新しいAIモデルを次々と取り込んでいくには、多少の負荷にも耐えらえる基盤が欠かせません。たとえば、一部の不具合が全体に広がらないようにする「サーキットブレーカー」のような仕組みに投資することで、システム全体を守ることができます。あらかじめ「壊れにくい設計」にしておくことが、時代の変化に合わせて進化し続けられる基盤づくりにつながるのです。 |
| クリーンで信頼できるデータ | データの自由度:AIの活用には高品質なデータが欠かせません。そこで、データをきれいに流すためのパイプラインに投資し、データの流れを綺麗に整えておくことで、新しいAIサービスを立ち上げる際の足かせがなくなり、より速く開発が進むようになります。 |
AIによる無限の可能性をつかむことを目的とし、システムの整備はそのために「欠かせないインフラ」と位置づけましょう。そうすることで、IT部門の役割は「トラブルを防ぐ守り」から、「チャンスを掴み取る攻め」へと変わります。AIへの投資は「技術的な貯金」を積み立てることに直結します。これにより、変化に怯える組織ではなく、先の見えない状況さえも味方につけて成長できる組織へと進化できるのです。
戦略はシンプルです。経営陣があまり興味を持たない「古いシステムの負債」を訴えるのは、もうやめましょう。代わりに、「低リスク・ハイリターン」な未来を話の提案の中心に据えるのです。AIというこれまでにないチャンスを最大限に活用し、企業が本来作り上げるべき「理想のシステム」への投資を引き出しましょう。
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